方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

「地図が読める人」って、どんな人?

 読図・ナビゲーション技術指導においては、個人商店乱立状態で、統一されたカリキュラムが存在しないのが悩みのタネです。とはいえ、山岳読図の指導を実施している人たちがほぼ一致するであろう見解は存在します。 


・コンパスを使いこなせる。
・等高線を見て、尾根と谷の判別ができる。
・現地で、地図上の情報と実際の風景とを対応させられる。 


 最低でも上記三点を満たさなければ、とうてい「地図が読める人」ではあり得ないと。 


 私の周辺では、能力別に、上級、中級、初級、一般(ぶっちゃけ初級以前の人)の4段階に分け、習熟度に応じた訓練を実施しています。一般〜初級を「地図が読めない人」、中級〜上級を「地図が読める人」と見做します。各段階の定義と概要は以下の通り。 

  • 一般 : 道路(林道を含む)でナビゲーションを行う。
  • 初級 : 整備された登山道でナビゲーションを行う。コンパスの使い方、地図上での尾根・谷の判別など基本事項は、初級段階でマスターしておく(中級になって もたつくようでは困るので)。
  • 中級 : バリエーションルート(踏み跡が不明瞭だったり、地図に記載されていない踏み跡が錯綜していたりするルート)でナビゲーションを行う。ナビゲーションミスが遭難に直結し得る上に、行方不明になってしまえば捜索も困難になる場合があるので、厳しい危機管理が必要。地図上の破線(登山道を示す線)に引きずられることなく、周囲の風景からルート判断できるようになるのが、中級攻略のポイント。
  • 上級 : 踏み跡が一切無く、周囲の風景のみが判断材料の全てとなる場所(雪山、ヤブ山、沢など)でのナビゲーション及びホワイトアウト・ナビゲーションを行う。ナビゲーションとは何の関係もない技術(天気図の読み方、登攀道具の使い方、セルフレスキュー法、救急救命法など)を多数習得する必要がある。ナビゲーションミスのみならず、様々な要因で深刻な遭難に陥り得るので、危機管理を徹底すること。 


 これじゃ、「地図が読める人」の定義として、あまりにも厳しすぎんじゃね? という声も聞こえてきそうです。その通り。普通に「地図が読める人」といえば、こんな感じでしょう。
 

  • 市販の道路地図を使って目的地に辿り着ける。道路・整備地以外の場所を通ることは想定しない。
  • 住所を頼りに、市街地図を使って目的地に辿り着ける。道路・整備地以外の場所を通ることは想定しない。 


 一口に「地図が読める人」といっても、人により意味は異なってくるわけです。
 日常会話であれば、定義をはっきりさせずに曖昧にしておいてもさほど問題はありません。ただし、科学を標榜し、「最新の脳研究により○○は地図を読めないことが判明した」などと謳っておきながら、肝心の「地図が読める・読めないって何?」がさっぱりわからないような言説には要注意です。
 また、「地図が読める人」になるには、多分に文化依存的な面があります。たとえば、通常の(山岳読図ではない)「地図が読める人」にしても、 

  • 道路地図・市街地図が市販されており、入手が容易である。
  • 居住地には住所が割り振られ、住所表記が徹底している。 


などの条件が揃って初めて「地図が読める人」たり得るわけです。こんな条件は現代日本に住んでいれば当然のことのように思えますが、ちっとも当然ではないことぐらい、少し考えれば分かることです。地図が読めるようになるにはどれだけの条件が必要なのか少しも考慮することなく、すぐに「脳が」「原始時代が」「進化が」「テストステロンが」などと言い出す輩にも要注意です。 


 現在教えられている読図・ナビゲーション技術は、先人たちが多くの犠牲を払いながら積み重ねてきた経験知が凝集されています。そんなナビゲーション技術を知ろうともしない方向音痴な言説流布者たちが、いかに安易な思いつきや妄想を垂れ流しているかは、おいおい書いていくつもりです。