方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

原始時代、男は全く地図が読めなかった

*注 : このエントリでは、「地図」とは道路地図・市街地図を指します。つまり、「地図」と聞いて普通の人がイメージする地図のことです。

 私の母方の祖父(30年以上前に他界)は、明治生まれで、当時としては異例の高い教育を受け、その地方では名士的存在でした。つまり、当時の平均的男性ではなく、エリート階級だったわけですが、全くといっていいほど地図が読めませんでした。当然でしょう。祖父が若かった時代、知らない土地に行くときは、まずその土地に住む知り合いに手紙を出し、そちらに行く旨を知らせ、当日、駅に迎えに来てもらい、案内を任せるのが一般的だったからです。現在みたいに種々の地図が発行されていたわけでもなく、地図を頼りに自力で知らない場所に行く習慣などほとんどなかったのですから。
 当時、地図を読むことができるのは、測量など特殊な作業に従事する人たちのみで、一般の人は、記憶便りのナビゲーションで事足りていました。そんな当時の人たちに、地図を読む訓練を施したとしても、おそらく徒労に終わったことでしょう。地図を読む必要性など全く感じない日常生活を送っているのに、地図が読めるようになりたいというモチベーションなど湧くわけがありません。
 なお、祖父が当然のように読みこなしていた漢籍など、私にはさっぱり読めません。当時、地図を読みこなす能力より、漢籍を読みこなす能力の方がはるかに重んじられ、「偉い人」認定されやすかったのではないかと考えられます。 

 「地図を読む能力」は複合能力であり、単純能力に還元できるものではありません。複合能力であることに加え、その人にとって地図を読む必要性がどれだけあるかにも大きく左右されることは前述の通り。よって、方向音痴な言説11項目のうち、

3. 地図が読めるか否かは、空間認識能力が高いか低いかで決まる。

は、無茶な単純化や拡大解釈が為された俗説であることがわかります(この点については、後日、別エントリにて考察します)。

 今さら明治時代にタイムトラベルして、当時の人がどの程度地図が読めたかどうか調査することは出来ません。とはいえ、ほぼ間違いなく以下のことは言えるでしょう。
 地図を読む能力は、

  現代の女性>>>>>(超えられない壁)>>>>>明治時代の男性

であると。明治時代の平均的男性は、地図を見せられても単なる模様にしか見えず、途方にくれるだけでしょう。方向音痴な言説11項目のうち、

1. 男は地図が読めるが、女は読めない。

も、即ゴミ箱行きです。この手の言説は、神経科学(脳科学)的にも古人類学的にもナビゲーション的にもヨタである可能性大なので、最初から相手にしないのが賢明です。間違ったことをたくさん知っているより、何も知らない方がはるかに賢いものです。