方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

男脳と女脳(1) − そもそも無意味な分類ではないか

 拙ブログで取り扱う話題は、極力、地図読み・ナビゲーション関連に絞るつもりですが、方向音痴な言説を論ずる際に、「男脳・女脳(男性脳・女性脳)説」は避けて通れません。当然ながら、私は神経科学分野の専門知識は持ち合わせていないので、(専門知識の有無とは無関係に指摘できる)論理の次元でのおかしな点の指摘や、一般教養的な記事の提示にとどめておきます。もし間違った記述があれば、コメント欄にてご指摘いただければ幸いです。 


 地図読み・ナビゲーションに関する様々なヨタ話の最大の発生源といえば、「男脳・女脳説」です。全くもって迷惑ですし、これ以上は勘弁願いたいものです。
 男脳・女脳説を公的に提唱したのは、自閉症研究の発達心理学者サイモン・バロン=コーエンが最初のようです。1990年代から言っていたらしいのですが、2003年に出版した一般書 ”The Essential Difference: The Truth about the Male and Female Brain”( 『共感する女脳、システム化する男脳』の邦題で2005年に日本でも出版)において、男脳・女脳説を打ち立てています。

『共感する女脳、システム化する男脳』
サイモン・バロン=コーエン著  NHK出版
共感する女脳、システム化する男脳 

ウィキペディアより サイモン・バロン=コーエン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3 

・Autism: Extreme maleness(英語)
http://eugen.leitl.org/tt/msg13699.html 

 バロン=コーエンによれば、共感性が高いのが女脳、システム化能力が高いのが男脳であり、両者は相反関係にあり、自閉症(女性よりも男性に多い)は極端男脳だとのこと。しかし、ただちに次の疑問が生じます――それは無意味な分類ではないかと。 

 例えば、一般に、男性は女性よりも心臓が大きい傾向があります。そして、仮に心肥大症が女性よりも男性に多いとして(あくまでも例え話です。本当に心肥大症が男性に多いかどうかは知りません)、心臓を男心臓・女心臓に分類し、心肥大症=極端男心臓説を提唱したりしたら、笑われても文句は言えないのではないでしょうか。
 男心臓・女心臓説を笑われた提唱者が、「男心臓の女もいれば、女心臓の男もいる。個人差は考慮している」とか、「体に男女の違いがあるように、心臓にも性差はある。性差を否定するものではない」とか言い訳を重ねれば重ねるほど、ますます笑いを誘うことになります。何せ、「男心臓・女心臓はバカ分類である」というのが笑いのキモなのに、提唱者の言い訳がことごとく頓珍漢だからです。しかし、男心臓・女心臓説を真に受ける人が多ければ、笑い事ではなくなってきます。
 男心臓・女心臓説の問題点は二つあります。
 第一に、単に珍妙な造語を作っただけであり、心臓や心疾患に関する新しい知見を何一つもたらさないこと。
 第二に、わかりやすくて誤解や偏見を招かない表現ができるのに、わざわざ、わかりにくくて誤解や偏見を招く表現をしていること。
 早い話、「一般に、男性は女性よりも心臓が大きい傾向にある」、「心肥大症は女性よりも男性に多い(しつこいようですが、あくまでも例え話です。本当に心肥大症が男性に多いかどうかは知りません)」と言えば、わかりやすいし、誰も誤解などしません。それをわざわざ、「心臓には男心臓と女心臓があり、男性は男心臓が多く、女性は女心臓が多い。心肥大症は極端男心臓である」と言えば、わかりにくいし、誤解や偏見を生み出す元です。

 「男心臓・女心臓説」の二つの問題点は、「男脳・女脳説」にもそっくりそのまま当てはまる上に、新たな問題点も浮上してきます。
 バロン=コーエンの言う「システム化」も「共感」も、あくまでも思考様式です(本当に両者が相反関係にあるのか、という問題は措くことにします)。そして、思考様式と脳との対応関係は、まだわかっていません。したがって、「システム型思考」、「共感型思考」と命名するのが妥当であるはずなのに、「男脳」「女脳」という実に不適切な造語を作り出しています。バロン=コーエンが確信犯なのか無自覚なのかはわかりませんが、明らかなミスリードをやっているわけです。 

 2007年、経済協力開発機構OECD)は、脳を巡る怪しい研究成果や根拠の乏しい説を「神経神話」と名付け、報告書にまとめています。7項目ほど挙げられた神経神話のうちの一つに、男脳・女脳説が含まれています。概要は以下のリンク先で読むことができます。 

日本経済新聞オンライン 2010年3月19日記事より
 怪しい「神経神話」と戦う脳科学
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A88889DE2E6E1E2E4EAE6E2E3EBE2E1E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E3E0E2E3E2E1EAE4E2 

 上記リンク先で、神経神話の5項目目に、
5.男性の脳と女性の脳は違っている
と挙げられています。 

 OECDのウェブページ内でも、神経神話関連の記事を読むことができます。

OECDのウェブページより NEUROMYTHS (PDF形式、英語)
http://www.oecd.org/dataoecd/56/0/36114448.pdf 

 OECD記事内では、PDFのp10〜p11で、男脳・女脳が取り上げられ、バロン=コーエンが名指しで批判されています。

 男脳・女脳説がインチキ脳科学扱いされたからといって、バロン=コーエンの自閉症研究までもが否定されるわけではありません。とはいえ、公的機関(OECD)からインチキ脳科学のお墨付きをもらうのは、かなりカッコ悪い。 

 男脳・女脳論者の例に漏れず、バロン=コーエンも、地図読み・ナビゲーションに関しておかしなことを言っています。しかし、それほど深入りしているわけではないので、拙ブログではこれ以上、バロン=コーエンに言及はしません。