前回の記事の続きです。
前回取り上げたバロン=コーエンの『共感する女脳、システム化する男脳』は、まだしも学術本風に書かれていましたが、「男脳・女脳」について書かれた本の大部分は、学術の体裁など為していない怪しげな自己啓発本です。この手の本は、矛盾だらけで胡散臭いことが書かれているので、素人目にも見破りやすい—はずなのですが、本気で信じている人は非常に多いものです。特に専門知識を持っているわけではない一般の人が、この手の怪しい本を見分けるポイントを挙げておきます。
「男脳」「女脳」の語を、単に「男」「女」に置き換えても意味が通じるのではないか?
「脳」の単語を取り去ったら(「脳」の単語があっても)、単に決め付けが激しいだけの陳腐でステレオタイプな男女論を述べているだけ。よく読めば、単なる行動傾向を「脳が〜」と言っているにすぎません。それなら脳など持ち出す必要はなく、一般論として述べれば十分です。
器官としての「脳」についての基礎解説をしているか?
やたらと「脳が」「脳が」と書いて科学ぶる割には、科学啓蒙書に見せかける努力を最初から放棄している本は、信用できません。