方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

「地図が読めるようにならない」教材 − 悪用されるメンタルローテーション・テスト

 前回の記事では、ちゃんと地図が読めるようになる教材や講習を紹介しましたが、一方で、「地図が読めるようになる」ことを謳い文句にしながら、どう見ても地図が読めるようにはならない教材も存在します。こうした教材は、主として営利目的の能力開発教室が使用・販売しているもので、名指しするのはリスクが伴うため、具体例を示すことができません。ただし、「地図」「空間認識能力」「脳科学」「右脳」「英才」「能力開発」「トレーニング」あたりのキーワードを適宜組み合わせて検索にかければ、怪しげな教材についての情報が得やすくなります。 

 真っ当な教材・講習が、あくまでも地図そのものについての解説をし、現地で実際に地図を使うことを重視しているのに対し、怪しげな教材では、肝心の地図が完全に無視されています。代わりに、「空間認識能力を高める」と称して、メンタルローテーションテストや図形組み合わせ問題を解かせています。真っ当な教材とは全く違う異次元世界が展開していることだけは確かです。
 メンタルローテーション・テストや図形組み合わせ問題を数多く解けば、確かにメンタルローテーション・テストや図形組み合わせ問題の成績は向上するでしょうが、それだけです。地図読みとは関係ないことです。地図の基礎について学習し、実際に現地で地図を使い込まなければ、地図を読む能力は向上しません。 
 
 真っ当な教材が、ちっとも脳科学の威を借りないのとは対照的に、怪しげな教材は、「脳科学に基づいている」ことを売り文句にしています。しかし、まともな脳科学とは言い難く、インチキ脳科学も同然といえます。
 最大の問題点は、地図を読む能力と空間認識能力を完全に同一視していることでしょう。地図を読む能力は、空間認識能力以外の能力も絡んでくる複雑能力・複合能力であることに加え、様々な外的要因の影響を受けやく、また経験・訓練が大きくものをいう能力です。単純に、抽象物体を回転させたり抽象図形を組み合わせたりする能力が高いだけで、地図が読めるわけではありません。
 複雑能力・複合能力は定量化も評価も難しいため、脳や認知心理学の基礎研究においては、どうしても単純能力を定量化して評価することになりがちです(※注)。そして、真っ当な研究者であれば、単純能力をいきなり複雑能力にすり替えたり、拡大解釈したりしないよう、注意を払うものです。その点、インチキ脳科学は、「メンタルローテーション・テストの成績が良いから地図が読める」なんて無茶な結論を引き出すのは朝飯前、実際の地図を完全に無視しておきながら「地図が読めるようになる」と標榜します。 

(※注) 例えば、メンタルローテーション・テストであれば、回答までに要した所要時間、正答数が数値化でき、比較評価が可能になります。一方、「地図を読む能力」は簡単には数値化しにくく、ある程度地図読みに熟達した人でなければ、評価すら難しいものです。


 ともあれ、大人であれば、効果の怪しい教材に手を出しても、本人の問題で済みます。心配なのは、未就学児の教材として使用されることです。子ども本人がパズルに興味を示すようなら、パズルとして解かせるぶんには問題ないでしょう。ただ、親が教材に過剰な期待をして子どもにやらせるとなると、非常に厄介です。子どもがまだ小さいうちは、同年代の友達と遊びながら人付き合いの基礎を学習したり、周囲の大人たちの行動を見て、社会への対処法を学んだりと、色々やることがあるはず。
 地図の読み方を学習するのは、ある程度大きくなって行動範囲が広がり、知らない場所へ案内なしで行くには地図読みが必要であることを自ら実感するようになってからであっても、決して遅くはありません。