方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

「地図を読む能力」を調査することの難しさ

 ある属性を持つ集団が、どの程度地図を読む能力を有しているか、調べるにはどうしたらいいでしょうか。ただし、調査対象人数は100人以上、「地図を読む能力」をきちんと数値化して、比較評価を可能にすること。 

 まず、「地図を読む能力」をどう定義するか、という問題が生じます。やはり、地図を頼りにナビゲーションできるようでなければ、「地図を読む能力がある」とはいえないでしょう。
 だとすれば、経路を赤線で記入した地図を配布し、経路通りに進むことができるか、という課題をやらせてみではどうでしょう。いいアイディアです。易しすぎず難しすぎず、「地図を読む能力」以外の要因に左右されにくい課題を設定したいものです。
 さすがに、ここで定義したように、中級者以上を「地図が読む能力がある」と見做し、山でバリエーションルートをナビゲーションさせる課題を課すのはまずいでしょう。課題として難しすぎて、ほとんどの人がこなせないのが目に見えていますし、第一、脚力に大きく左右されてしまいます。それ以前に、危険です。やはり、街中の よく整備された道路上でのナビゲーションを課題にすべきでしょう。
 自動車の助手席に座らせて経路を指示させるというのは? これだと、「地図を読む能力」以外に、「自動車慣れしているかどうか」にも左右されてしまいます。徒歩でのナビゲーションの方が適切でしょう。脚力の弱い人が不利にならないよう、起伏がなく、車椅子でも通行可能で、ゆっくり歩いても30分以内で回れる経路を設定することにしましょう。土地勘の有無により行動も違ってきますから、被験者全員が知らない土地でのナビゲーションを課題にしましょう。 

 次に、どう数値化するかが問題になります。経路を辿るのに要した時間を指標にするのはまずい。これだと、足の遅い人が「地図を読む能力が低い」と見做されてしまいます。
 ならば、途中で経路を間違った回数をカウントするのはどうでしょう。これなら、歩行速度に左右されずに数値化できます。ただし、問題もあります。露骨に経路を間違ってくれればいいのですが、曲がり角で躊躇し、間違った方向に行きかけて戻り、結局正しい経路に行った場合は? 曖昧さを回避するには、被験者に、曲がり角では必ず立ち止まり、進路を判断してから再度歩き出すよう徹底してもらう必要があります。これなら、歩行速度とは無関係に、立ち止まってから再度歩き出すまでの時間(判断時間)も数値化できます。もっとも、100名以上もの被験者が、こんな指示をきちんと守ってくれるかどうか、当てにはできないでしょう。
 曖昧さが生じると、実験者(間違いをカウントする人)の主観が入り込みやすくなります。例えば、現行の社会では、かなり多くの人が、「男は方向音痴ではないが、女は方向音痴」という俗説を信じています。実験者がそんなバイアスを有していた場合、全く無意識のうちに、男性被験者の間違いを低くカウントし、逆に女性被験者の間違いを高くカウントしてしまうかもしれません。実験者には被験者の属性が一切わからなくしてしまう必要があります。被験者にGPSを持たせ、実験者はモニター上の軌跡のみで判定するようにすれば、バイアス混入も防げます。 

 こうしてみると、「地図を読む能力」を大規模調査するには、随分お金と手間暇がかかることがわかります。コスト削減のために、課題設定の簡略化もやむを得ないかもしれません。課題設定を簡略化すればするほど、大規模調査も容易になりますが、その分、本来調べたかったはずの「地図を読む能力」とはかけ離れてしまいます。「地図を読む能力」が複雑能力・複合能力である以上、この手のジレンマは付き物です。
 調査結果から何がわかって何がわからないのか、きちんと抑えておくことは必要不可欠です。課題設定を簡略化した場合は、特にそうです。