方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

『話を聞かない男、地図が読めない女』 (1) − 影響力の絶大さ

 地図読み・ナビゲーションにまつわるヨタを撒き散らした最大の功績者(?)といえば、文句無しに,書籍『話を聞かない男、地図が読めない女』でしょう。影響力の大きさだけは、群を抜いています。 

『話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く』
アラン・ピーズ バーバラ・ピーズ 共著   主婦の友社
文庫版 話を聞かない男、地図が読めない女
 2000年にハードカバーの単行本として発売され、一大ベストセラーとなり、2002年には文庫本化されています。以後、この本からの二次受け売り、三次受け売り……と改変を加えられながら流布され、カオスと化しています。
 この本のブームは終わったわけではなく、単に常識化して定着しただけでしょう。「男脳・女脳」の語は、もはや日常語と化していますし、この本のn次受け売り言説は、身近にごく普通に見られます。 

 この本がどのような経緯で出版されたのか、文庫本の訳者あとがきに、驚くほど正直に書かれています。引用してみましょう。 

 筆者夫妻はオーストラリア人だが、この本は一九九九年三月にまずイギリスで出版された。このときはピーズ夫妻の会社「ピーズ・トレーニング・インターナショナル(P.I.T)」がイギリスの出版社オライオンとの協力で出すという、どちらかというと自費出版に近い形だった。このイギリス版も刊行後に細かい修正が加えられているが、二〇〇〇年四月に日本で刊行された『話を聞かない男、地図が読めない女』は、あくまで初版のテキストをもとにしている。
 この日本語版がたちまちベストセラーになったので、オライオンが版権を買いとって、全世界に向けて販売展開することになった。そこでピーズ夫妻は古いデータを差しかえ、最新の研究成果を随所に追加して、新たにインターナショナル版を作った。また男脳・女脳テストについても、結果がわかりやすくなるよう得点配分を変えた。こうしてできたインターナショナル版を翻訳したものが、今回の文庫版である。

〔『話を聞かない男、地図が読めない女(文庫版)』p347〕

 単行本と文庫本でかなり変更点があるようですが、私には、両者を付き合わせて変更箇所対応表を作成するだけの時間も気力もありません。以後、この本からの引用は、すべて文庫本に準拠するものとします。 

 ピーズ・トレーニング・インターナショナル社については、下記リンク先をご覧ください。 

・PEASE TRAINING INTERNATIONAL PTY LTD (英語)
http://www.cylex.com.au/company/pease-training-international-pty-ltd-15173866.html 

 要するに、怪しげな自己啓発セミナーを運営しているということで。 

 『話を聞かない男〜』は、1990年代に欧米で隆盛を極めていた(らしい)イデオロギー的な生得的性差論を寄せ集めたようです。本書で紹介されている説は、ほとんど引用元も参考文献も示されていないので、「引用」ではなく「パクリ」でしょう。
 「男脳・女脳」の概念は、サイモン・バロン=コーエンからのパクリっぽいし、本書で繰り返し述べられている「原始時代、男は狩りをしていて、女は洞窟で子育てしていた」という、まともな古人類学会では相手にされていない俗流解釈は、ドリーン・キムラの劣化版パクリでしょう(キムラの著書『女の能力、男の能力』でも、原始時代における俗流性別役割分担論が述べられています)。知性の面ではバロン=コーエンやキムラの方がはるかに上ですが、影響力ではピーズ夫妻の圧勝です。  

 地図に関する まともな本をちゃんと読んだ人ならすぐ分かることでしょうが、『話を聞かない男〜』の著者は、地図については素人以下です。地図読みを云々するだけの能力など持っていません。
 そもそも、『話を聞かない男〜』はただのトンデモ本です。前書きにツッコミを入れるだけでも日が暮れ、やっと本文に辿り着いたら、第1章のしょっぱなから破綻しています。その後も、ランダムにどのページを開いても大抵ツッコミ処が見つかる上に、後半に至っては下ネタのオンパレードで、突っ込む気力も失せます。まあ、怪しげな自己啓発セミナー講師の書いた(事実上の)自費出版ですから、仕方がありませんが。 

 むしろ驚くべきなのは、かなり知性の高い人たちまでもが、この本を真に受けていることです。れっきとした医者や、大学の研究職に従事している人であっても、本書を信じて肯定的に紹介しているケースが多々見られます。大学の講義で本書を使用した(もちろん、批判的テキストとしてではなく、大真面目に!)例も見受けられます。
 普通、ドメインを「.ac.jp(大学などの高等教育機関が使用するドメイン)」に限定して検索すれば、信頼性の高い情報が得られると考えられがちです。ところが、「“話を聞かない男”」のキーワードを「.ac.jp」ドメインに限定して検索すると……頭が痛くなります。 

 怪しげな自己啓発セミナー講師の書いたパクリと下ネタだらけの(事実上の)自費出版が、これほどまでに有り難がられ、立派な科学書だと思われている―ギャグみたいな状況ですが、これが実態です。
 こうなると、批判するのもバカバカしいトンデモ本であっても、大真面目に批判せざるを得ません。

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