方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

『話を聞かない男、地図が読めない女』 (5) − ナビゲーションと地図

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 ここらで、書籍『話を聞かない男、地図が読めない女』文庫版(以下、『話を〜』と表記します)』の著者の一人、アラン・ピーズについて見ておきましょう。

・Author profile : Allan Pease (英語)
http://www.goodreads.com/author/show/75844.Allan_Pease 

 上記リンク先より、引用します。

Despite having no education in psychology, neuroscience, or psychiatry,

 心理学、神経科学、精神医学の専門知識など持っていません。やはり、欧米の通俗本などから、持論に都合の良い話を寄せ集めてきたのでしょう。 

Originally a musician, he became a successful life insurance salesman, he started a career as a speaker and trainer in sales and latterly in body language.

 ミュージシャン、保険のセールス業などを経てきたようです。”he started a career as a speaker and trainer in sales and latterly in body language.” って、どう見ても怪しげな自己啓発セミナーだよなあ。 

 以上のことを念頭に置いた上で、『話を〜』p159の表「空間能力が要求される職業の男女比」を見ると、なかなか面白い。著者によれば、空間能力が要求される職業とは、航空機関士、エンジニア、レースドライバー原子力技術者、パイロット、航空管制官、ドラッグカー/バイクレーサー、建築家、運行乗務員、保険数理士、ビリヤード/スヌーカー選手、会計士だそうです。
 アラン・ピーズは多分男ですが、航空機関士でもなければエンジニアでもなければ(以下略)、自己啓発セミナー講師です。男が航空機関士やエンジニア(以下略)になるには何の社会的制約も無いにもかかわらず、です。もし彼が、
「私は航空機関士やエンジニア(以下略)である全女性より空間能力は劣っている」
航空機関士や(以下略)ではない全男性は、航空機関士や(以下略)である全女性より空間能力が劣る」
とでも言うなら、主張内容の妥当性はともかく、主張自体は一貫していますが、妥当性どころか一貫性すら期待できないことは、以下の引用文を見れば明らかです。 

 どうしてモーゼは四十年も荒野をさまよいつづけたのか?
 人に道を聞かなかったから。
 〔『話を〜』p172〕

 女は空間能力が劣るから道に迷う、という意味のことをさんざん書いておいて、男が道に迷うのは人に道を聞かなかったからだそうです。
「俺がテストで0点取ったのは、教えてもらわなかったから。お前が0点取ったのは、バカだから」
と言っているのと同じで、とにかく物事を自分に都合よく解釈しています。 

 ドライブしていて道に迷ったとき、女ならすぐに車を停めて道をたずねるだろう。だが男にしてみれば、それは白旗を揚げて降参するに等しい。だからそのへんをむなしく何時間でも走りまわって、「ほほう、ここを通ってもあそこに出られるのか」とか、「だいたいこのあたりなんだが」「このガソリンスタンドは見覚えがあるぞ!」などと口走る。 〔『話を〜』p23〕

 自分がそういう男だからといって、他の男までそうだと決め付けられては迷惑です。しっかし、たかがドライブ中に道に迷った程度で、

白旗を揚げて降参するに等しい。

とは、何とも大仰です。間違いに気付けば率直に認めて修正するのは、合理的思考法の基本でしょうに。客観的には明らかに間違っているのに認めようとせず、自分より詳しい人に教えてもらおうともせず、間違ったまま突っ走るのは、トンデモさんの行動パターンです。たかが道路上で迷った程度でこれでは、他の場合は推して知るべし。上記引用文を見る限り、男は合理的思考ができず、問題解決もできないようです。ところが『話を〜』の著者は、別の場所でこんなことを書いています。

 男の頭脳は論理的で、問題解決に向いている。 〔『話を〜』p189〕

 明らかに道迷いに陥っている状況を客観的に把握できず、訳のわからないプライドらしき感情ばかりが肥大化して、ちっとも道迷い状況から抜け出せないのに? 本人はそれで自分を偉く見せたつもりかもしれませんが、傍目には大した人物でないことは丸わかりです。「すぐに車を停めて道をたずねる」方が、はるかに合理的で問題解決的です。
 まあしかし、原始時代原始時代と連呼する割には、人工的に整地され、住所が割り振られ、整備の行き届いた舗装道路上で自動車を運転する話ですか。 

 道路上であれば、どれだけ迷ったところで時間に遅れるだけですから、好きなだけ虚勢を張ればよろしい。しかし、山で道迷いしたら、如何に早い段階で気付けるかどうかがキモになります。例えば、ここで取り上げたCさんのケースでは、崖に近い急斜面を下りる前に道迷いに気付き、適切に対処した(強引に下ったりせずに上り直した)ことで危険を回避しています。間違ったまま突き進むと、その先には地獄が待ち受けています。
 地図読みの中級〜上級者(中級・上級の定義はこちら)は、道(踏み跡)にあまり頼らないナビゲーションをしますが、実のところ、100パーセント確実に現在位置を把握し続けるなんて、GPSでも使わない限り不可能です。むしろ、ミスを犯して予定ルートを外した場合でも、早めに気付いて修正すること、ミスを遭難に繋げないこと(例えば、ルートミスからのリカバリーが難しい場合、予定ルートを進むことを断念して、正規登山道のある尾根に上って安全を図ったりします)、どの地点でどう判断ミスを犯して間違ったのか、あとで検証すること(←これ重要)、等々、ミスのあることを当然の前提とした上での危機管理が必要になってきます。
 ここで4番目に紹介した『最新読図ワークブック』中のミニコラムより、引用しておきます。

エキスパートは迷わないか?
 ナビゲーションの熟練者と話をしていると、自分のナビゲーションに自信を持っているというより、常に自分のナビゲーションに疑いを持っていると感じることが多い。彼らは間違いの可能性を常に考え、それを具体化することで、逆に正しい場所にいるという確信を論理的に生み出したり、間違いにいち早く気づくことができる。
〔中略〕それによって、彼らは「迷わない」のではなく、「迷った影響を最小限にとどめる」ことができる。 〔『最新読図ワークブック』p65〕

 『話を〜』の著者が言うところの「男」は、到底「ナビゲーションの熟練者」になり得ないこと、それ以前に『話を〜』の著者は、ナビゲーションについてまるで知らないことがおわかりいただけたでしょうか。 

 独力で上達できることならともかく、大抵のことは、上級者に教えてもらわなければなかなか上達しないものです。教えてもらう以上、当然、相手の話をちゃんと聞き、コミュニケーションを取ることが大事になってきます。人の話をろくに聞いていないようでは、地図読みにせよ何にせよ、物事に熟達することは難しいでしょう。「話を聞かない人」こそが「地図が読めない人」予備軍になり得ます。

 再び、『話を〜』から引用します。

 オーストラリアのケイ・コッティーは、女性としてはじめてヨットで単独無寄港世界一周をやってのけた。彼女はまちがいなく、自分がどっちに進んでいるかわかっていたはずだ。
 しかし最近開かれた会議でコッティーと話をしたら、彼女も市街図を読むのは苦手だと言った。それでどうして世界一周できたのだろう?「ナビゲーションプログラムよ。コンピュータに入れておけば、正しい方角を示してくれるの。
〔中略〕
 つまりケイ・コッティーといえども、へたをすると海の真ん中で方角がわからなくなる危険性があったというわけだ。だが固い決意と勇気、周到な計画、そして適切なスタッフと装備が揃いさえすれば、ヨットでの世界一周も夢ではないのだ――たとえ市街図が読めなくても。
 〔『話を〜』p145〕

 『話を〜』の著者は、物事をことごとく自分に都合よく解釈する癖があるので、コッティーの発言も、自分に都合よく脳内変換している可能性があります。とは言え、洋上訓練に膨大な時間を費やしているであろうコッティーが、地上の道路地図などてんで読めない可能性も、もちろん考えられます。コッティーが市街図を読めないからといって、

それでどうして世界一周できたのだろう?

って、道路上ナビゲーションと洋上ナビゲーションは全く違うからに決まっているでしょうに。『話を〜』の著者は、市街図が読めれば洋上でのナビゲーションができるかとか、自分ならナビゲーションプログラムがあっても無理ではないかとか、少しも考えなかったらしい。
 実は私も、ヨットについては何も知らず、洋上ナビゲーションに関してはド素人です。だからといって、ヨットの専門家に対して市街図が読めるかどうか質問するとは、斜め上もいいところだということぐらいは分かります。もっとマシな質問――例えば、無寄港ということで、期間短縮のために極力最短航路を取るのか、それとも、安全面を優先して、陸地(島嶼を含む)伝いに進むのかとか――はできなかったのか。
 それと、ヨットで単独無寄港世界一周するには、ナビゲーションシステムは必需品でしょう。当たり前のことをさも意味ありげに書くことで、あたかもコッティーがナビゲーションできないかのように印象付けています。もっとも私は、『話を〜』の著者が故意の印象操作をするほど頭がいいとは信じていません。ナビゲーションシステムが必要、という当たり前のことが、本当に理解できないだけだと見ています。
 『話を〜』の著者は、女は空間能力に劣るのでパイロットに適さないという話がお好きらしく、本書の中で何度か繰り返しています(因みに著者の一人アラン・ピーズは多分男ですが、適性がないらしく、パイロットではありません)。しかし、航空機では、これでもかと謂わんばかりにナビゲーションシステムが搭載されています。詳細は下記リンク先をどうぞ。

・11群(社会情報システム)−2編(電子航法・ナビゲーションシステム)
 1章 航空システム (PDF形式)
http://www.ieice-hbkb.org/files/11/11gun_02hen_01.pdf 

 コッティーの話に戻りましょう。

だが固い決意と勇気、周到な計画、そして適切なスタッフと装備が揃いさえすれば、ヨットでの世界一周も夢ではないのだ

固い決意と勇気」などと、精神主義的な要素を並べています。技能の伴わない精神主義では、単独無寄港世界一周は無理だと思いますが。唯一、技能らしき要素は、「周到な計画」のみです。「そして適切なスタッフと装備が揃いさえすれば」と、周囲のスタッフと装備に助けられたと仄めかしています。もちろん、スタッフと装備は非常に重要な要素であることには違いありませんが。

――たとえ市街図が読めなくても。

 最後はちゃっかり、コッティーの能力を侮辱することを忘れていません。
 それにしても、ヨットで単独無寄港世界一周を成し遂げた人物に対して書くことがこれか。全然関係ありませんが、日本人として最初にヨットで単独無寄港世界一周を成し遂げた堀江謙一(ほりえ・けんいち)氏が侮辱を受けた件を連想してしまいました。 


 『話を〜』には、まだまだツッコミ処が山ほどありますが、さすがに気が滅入ってきたので、この本に対する批判はひとまずこれで終わりにします。後日、気が向けば、続きを書くかもしれません。


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