方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

なぜ信じてしまうのか?

 これまで、地図読み・ナビゲーションにまつわる様々な俗説を見てきました。それらの中には、「男は距離と方角で指示すると迷いにくいが、目印で指示すると迷いやすい」みたいに、少し考えただけですぐにおかしいと気付くような話も含まれているにもかかわらず、疑いも持たれずに鵜呑みにされています。
 なぜ怪しい話がこうもあっさり信じられてしまうのか、きちんと考察するのは、社会心理学の専門訓練を受けた人にお任せしたいところです。ただ、地図読み・ナビゲーションにまつわる俗説の大部分は、性差絡みの領域に集中していることから、信じたいことを裏付けてくれる話であれば、どんなデタラメであっても信じてしまう心理が働いているであろうことは容易に見当がつきます。

 地図読み・ナビゲーションにまつわる俗説を信じ、(個人的信念にとどまらず)それを他人にも積極的に語りたがり、且つ、おかしさを指摘されても考えを修正しない人のことを、「ビリーバー」と定義することにしましょう。当然ながら、個人的に信じているだけで広めようとしない人や、おかしさを指摘されて考えを修正する人は、ビリーバーに含めません。
 以下、ビリーバーたちの話を実際に聞いてみて気付いたことを書き留めておきます。 

「性差」が大好き

 ビリーバーを観察していると、地図読みやナビゲーションには無関心で、「男女の違い」とやらのウンチク話を披露するのが好きなだけのように見受けられます。また、ビリーバー「原始時代に男は狩りを……」云々の話も大好きですが、その割に古人類学にも無関心です。興味も無いのに、黙っていられずに喋りたいようです。
 この手のウンチク話は、大抵が、『話を聞かない男、地図が読めない女』や、同工異曲のトンデモ本からの受け売り(劣化版受け売りを含む)であろうと推測されます。血液型性格判断もそうですが、偏見丸出しで属性により決め付ける話は、聞いていて不快です。飲み会ネタならいいではないか、と言う人もいますが、楽しい雰囲気をぶち壊しにする不快な話題は、むしろ飲み会の席にこそふさわしくないでしょう。
 ビリーバーの(おそらく受け売りであろう)決まり文句は、
「性による違いを理解してこそ、良い関係を築ける」
というものです。『話を聞かない男、地図が読めない女』にも、確かそのような意味のことが書かれていました。一見尤もらしいこの決め台詞が、ただの欺瞞に過ぎないことは、後述するビリーバーの態度で明らかになります。 

地図が読めない

 ビリーバーは基本的に地図読み・ナビゲーションに興味が無いので、当然、地図を読めません。「地図が読める人」って、どんな人?で述べた上級・中級・初級・一般の定義によれば、「一般(初級以前の人)」に該当します。一方、私の知人には、地図が読める女性(中級〜上級に該当する人)がかなり存在します。
 地図が読める女性たちとビリーバーの地図読み能力の差を比較し、
「地図が読める女性たちとあなたとでは、脳が全く違うとお考えですか?」
と質問した時、ビリーバー自己欺瞞が露わになります。それまで脳だ、進化だ、テストステロンだ、と大風呂敷な話を展開していた人が、一転して、
「地形図の読み方など習っていない」
「登山には興味が無い」
などと、個人の学習機会や興味関心の問題に話を矮小化してしまいます。あの〜、脳や進化の話はどこに消え失せたんですか? 違いを理解するのが大事とか言ってませんでした? 『話を聞かない男、地図が読めない女』にあった、女が道に迷うのは空間認識能力が劣るから、男が道に迷うのは人に道を聞かなかったからを彷彿とさせる都合の良さです。
 それ以上突っ込んでみても、ビリーバーを頑なにさせるだけで得るものが何もないのが目に見えているので、ビリーバーの反応だけ確認したら、私はこの話題を打ち切ることにしています。ビリーバーにしてみれば、ちゃんと反論して私を納得させたつもりかも知れません。あとで己の欺瞞を省みることも、まず無いでしょう。
 現在までのところ、「地図が読める女性たち」と比較されても一貫した主張(妥当な主張であるかは措きます)を続けるビリーバーは、まだお目にかかったことはありません。つまり、こういう主張です。
「私は、中級・上級の女性たちに比べて、地図を読む能力が圧倒的に劣っている、これは、私の空間認識能力が彼女たちに比べて生まれつき著しく低いからであり、原始時代に彼女たちの祖先は狩猟をしていたのに対し、私の祖先は洞窟で子育てをしていたためだと思われる。違いを認め合うことで、良い人間関係が築ける。あなたは、私と彼女たちの能力の違いを理解し、私に対して彼女たちとは全く違う生き物だと思って接して欲しい」