方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

男は方角と距離に基づいたナビゲーションが苦手(1)−方角と距離に基づくナビゲーションはどうやるか

 私事になりますが、このところたて続けに「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説を信じている人に会いました。そして、いったん俗説を信じてしまった人を説得するのがいかに困難か痛感しました。信じてしまった人たちの話によると、企業向けの研修で聞いたんだそうです。試しに「企業 研修 男脳女脳」のキーワードでウェブ検索してみると、目まいがしそうな検索結果がずらりと並びます。俗説への批判記事は一度書いて終わりにするのではなく、定期的に何か書いておく必要があるのかなあ、と思った次第です。 

 「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説の大元になったと思われる論文は、箸にも棒にもかからぬ代物です。
ドリーン・キムラ − 何を調べているのかさっぱりわからない「実験」
 元論文はこちら。
・Sex differences in route-learning(英語)
http://www.citeulike.org/user/hyac/article/9528890 
 残念ながらこの論文は、地図読み能力の性差を裏付ける先行研究として、いまだに研究者たちに引用され続けています。論文筆者である Galea,Kimura 個人の逸脱ではなく、20年前のお粗末な論文にツッコミ一つ入れることができずに引用し続ける研究者集団の構造問題でしょう。 

 この俗説を大々的に広めたのが、2009年に放送された『NHKスペシャル 女と男』です。この番組への批判記事はこちら。
『NHKスペシャル 女と男』(1) − 概要
『NHKスペシャル 女と男』(2) − 内容要約
『NHKスペシャル 女と男』(3) − 方角・距離・目印
『NHKスペシャル 女と男』(4) − ナビゲーションと古人類学と  

 そんなわけで、「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説がいかに嘘っぱちであるか、シリーズで書いていく予定です。この手のヨタ話は、単一根拠によって否定されるものではなく、何重もの状況証拠によって徹底的に否定され尽くされるものなので、しつこいくらい言及したいと思います。 

 まずは基本に立ち返り、方角と距離によるナビゲーションはどうやるのか見ていきましょう。幸い、いい教材がウェブ上に存在します。フィンランド在住の日本人がアップロードした約30分ほどの動画で、前半は理論解説編、後半(12'30"あたりから)は実践編です。

・裏庭ブッシュクラフト - #02ベーシックスキル - 10ナビゲーション(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=o_wcBgZz-Fc


 上記動画の後半・実践編では、駐車場から湖まで遊歩道を利用して行き(ただし直線的に進むために、遊歩道が曲がっている箇所はショートカットルートを取っています)、帰りは方角と距離のデータを基に直進して戻っています。
 まず、周到な事前準備をしていることが見て取れるでしょう。ちゃんと100メートルの距離を何度も歩いて自分が何歩で歩き切るかを求めた上に、コンパス、レンジャービーズ、方眼紙などの道具を使いこなしています。
 また、方角・距離のナビゲーションであるにもかかわらず、目印を活用していることも見逃せません。「いつも休憩に利用している大きな岩」「水場」「開けた場所」「倒木」「来た時の足跡」など。
 フィールド歩きに慣れた人なら実感しているでしょうが、常時 人が歩いて踏み固めた道と、そうでない場所とでは、歩きやすさが段違いです。動画主さんも、遊歩道から外れた場所では歩きにくそうにしているのが分かります。フィールドでは岩や立木が邪魔で、たとえコンパスを使っても直進困難なケースは珍しくありません。そんな時は、まずコンパスで目的地の方向に大矢印を向け、矢印の先に見える目標物(木や岩など何でもいい。できるだけ遠方にある方が望ましい)を定め、目標物に辿り着いたら再度コンパスで新たな目標物を設定する、という技法を使います。これなら次の目標物まで少々曲がった経路を取っても大丈夫です。動画主さんも、この方法を採用しています。方角・距離のナビゲーションを行なう際も、ちゃんと目印を利用していることに留意しておきましょう。 

 方角と距離によるナビゲーション方法をじっくり学習したあと、改めて男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる、という俗説を広めた『NHKスペシャル 女と男』の内容を見てみると、如何に眉唾であるか分かろうというものです。
 まず、人間の方角・距離の感覚は不正確なので、方角と距離に基づいたナビゲーションを行なうには測定道具を使いこなす必要があります。上記動画主さんも、決して感覚頼りに進んでいるわけではなく、道具使いこなしスキルを習得し、周到な下準備をした上でナビゲーションしています。道具に頼らず感覚で判断しているのは、主として目印です
 原始時代には当然コンパスは存在せず、歩測をしようにも、100メートルを測るメジャーもありません。所要時間から距離を割り出そうとしても、時計も存在しません。原始時代のナビゲーション方法はよく分かっておらず、おそらく地域地域の地理的特性により異なっていたでしょうが、やはり主として目印を利用していたのではないか、と推測してもそれほど不合理ではありません。長距離を移動する際も、遠方に見える目標物を頼りに進めばいいわけです。方角・距離情報を主体としていたのなら、それをどうして感覚で感知していたのか、という問題に行き当たります。大雑把に進行方向を決めたり大幅に目的地を外したりしないように方角・距離の感覚を利用はしたでしょうが、それ以上に精密なナビゲーションをするには無理があります。 

 さて、次は下記の動画をご覧ください。 

NHK映像マップ みちしる トムラウシ山大雪山国立公園)難所 ロックガーデン (動画)
http://cgi2.nhk.or.jp/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004340001_00000 

 登山をしない人は、動画中の岩だらけの場所でどうやって進路が分かるのか、不思議に思わないでしょうか。登りであればピークに向かって収束するからまだしも、下方に向かって発散する下りではどうでしょう? 濃霧とはいわないまでも、ちょっとしたガスに巻かれた時、どちらに進んだらいいか分かりますか? 動画中でも、ガスの中を進んでいる様子が少しだけ収録されています。
 実は、岩にはルートを示すペンキマークが印されていて、登山者はそれを頼りに進んでいます。目印を順番に追っているわけです。ガイドブックなどにも「ペンキマークを見失わないように」と注意書きがあります。晴れて視界が良い時は迷いにくくなりますが、それは遠方の目標物が見えるからであり、要は目印を頼りにしています
 「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説には、「女は目印を順番に追うナビゲーションを得意とする」という言説がセットで付く場合が多いのですが、何のことはない、男女問わず、目印を順番に追うナビゲーションが得意なんです。仮に俗説が本当だとしたら、男性にはペンキマークなど不要(それどころか却って迷いやすくなる)で、「北へ1km」と書いたメモでも持っていた方が迷わないはずですが、そんなバカな話があるかいな。 

 人間(男性を含む)は方角・距離の把握が苦手だからこそ、そういう前提を置いた上でコンパスの使い方を習得し、事前の周到なプランニングの立て方を学習します。俗説など邪魔なだけです。