方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

山岳誌『山と渓谷』、「地図を回す人は地図が読めない」という俗説を否定

 当ブログでは、 

 地図を進行方向に合わせて回す人は、方向音痴で地図が読めない 

という俗説を否定する記事を何度か書いてきました。例えば、以下の記事がそうです。 

地図を正置(整置)してみよう!
地図をクルクル回す人は、なぜバカにされるのか?
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(4) − メンタルローテーションの過大評価
心的回転(メンタルローテーション)の日常例 

 この俗説は、地図読み能力の非常に高い人(オリエンテーリング選手、アドベンチャーレーサー、山岳読図をやっている人)は地図を回して読んでいる、という事実を提示することにより完全否定できます。しかし如何せん、俗説を真に受けた人がすぐに俗説を拡散してしまうので、火消しも追いつかないのが現状です。今月(2016年8月)に入ってからも、ツイッター上で、「地図を進行方向に合わせて回す人は、方向音痴で地図が読めない」という趣旨のツイートが大量拡散されていました。
 こんな状況ではありますが、山岳誌『山と渓谷』の今月号(2016年9月号)において、俗説を否定する記事が掲載されました。今月号の目玉は読図特集ですが、整置(地図を回して地図の向きを現地の風景と一致させること。「正置」とも表記する)の重要性や整置のやり方などが、かなりのページ数を割いて解説されています。因みに、日本の山岳遭難は道迷いが突出して多いこともあり、山岳誌は定期的に読図特集を組んでいます。
 『山と渓谷』2016年9月号の詳細はこちら。↓ 

・Reader Store 山と溪谷 (通巻977号) 
http://ebookstore.sony.jp/item/LT000063057000588066/ 

 上記リンク先に記載されている目次より、該当箇所を抜粋しておきます。 

第1章 基本のセンスを磨く
整置編 なぜ整置が必要なのか 方向音痴を「整置」で克服する 街で地図読みに慣れ親しもう! 地図読みの第一歩、整置をマスターする

 

 整置を地図読みの基本に位置付けた上で、読図スキルの向上を目指して指南する内容になっています。基本がなっていないと、スキル向上も望めませんからね。
 また、読図問題のミニドリルが付録として付いていますが、そこにも整置に関する問題が2問ほど収録。さらに、写真と地図を対応させる問題が1問収録されていますが、当然ながら、地図は写真に対して整置されています。 


 地図を進行方向に合わせて回す人は、方向音痴で地図が読めない

という俗説を、面白半分に拡散する人がこれだけ大勢存在する現状下で、俗説を否定する記事が出たところで焼け石に水の感は否めません。しかし、きちんとした読図の特集記事が組まれ、地図読みに興味を持つ人が増えることにより、徐々に俗説が駆逐されていくことを期待したいものです。 

『話を聞かない男、地図が読めない女』 (6) − 新装版発売

関連過去記事
『話を聞かない男、地図が読めない女』 (1) − 影響力の絶大さ
『話を聞かない男、地図が読めない女』 (2) − 男脳・女脳テスト
『話を聞かない男、地図が読めない女』 (3) − 男は狩りをしない
『話を聞かない男、地図が読めない女』 (4) − 空間能力と地図
『話を聞かない男、地図が読めない女』 (5) − ナビゲーションと地図 



 本日(2015年12月11日)、『話を聞かない男、地図が読めない女』(以下、『話を〜』と表記します)の新装版(紙書籍・電子書籍)が発売されました。
 宣伝記事はこちら。 

・200万部超えのベストセラーが読みやすくなって帰ってきた『新装版 話を聞かない男、地図が読めない女』発売 電子書籍100円セール実施&WEB「男脳?女脳?診断テスト」公開 
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000470.000002372.html 

 上記リンク先記事によれば、 

この度内容を全面的に見直し、「要点やポイントを日本の読者にわかりやすく伝える」「厚すぎる本はちょっと苦手という人でもすぐに読める」の2点を徹底して再編集し、ベストセラーを楽しく読めるように工夫いたしました。

ということですので、どうやらかつての単行本・文庫本のお手軽な劣化版のようです。『話を〜』への否定材料はとっくに出揃っているにもかかわらず、発売から15年経った今なお売れ続け、初版を知らない若年層にも受け入れられているのは問題でしょう。

 『話を〜』の初版が日本で発売された2000年以降、男脳・女脳説は自己啓発ビジネスとして確立してしまい、企業研修や自治体主催の講演などで広められているほか、テレビや雑誌でも、お気軽ネタとして頻繁に取り上げられています。また、学校の授業で男脳・女脳説を教えているという情報もかなり捕捉しています。
 男脳・女脳説は、政治的影響力の大きい宗教右翼イデオロギーとも親和性が高く、現在の趨勢が続けば、いずれ理科教育で公的に男脳・女脳説が導入されるのではないかと危惧しています。
 『話を〜』の原題は《Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps》ですが、「"why men don't listen" pseudoscience〔エセ科学〕」あたりのキーワードで英語サイトをウェブ検索すれば容易に批判記事が見つかるのに、日本語の批判記事は少なく、私の書いた過去記事がトップにヒットする始末です。神経科学、生物学、ジェンダー学、人類学方面からの批判記事がもっと書かれてもよさそうなものですが。
 男脳・女脳説がアカデミズム界を侵食している状況を批判した日本語記事をリンクしておきます。 

・ブログImaginary Linesより 2013年11月30日付記事
 えーしーどっとじぇーぴー
http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20131130/1385739792 

 『話を〜』には、ピーズ国際研究所とやらの驚愕の研究成果が紹介されています。例えば、こんなの。↓ 

・画像 男女の性衝動の経年変化(出典:ピーズ国際研究所)
http://p.shame.jp/smp/imageview/Ukt4ftZWJx1.jpg 

 笑撃的!!! なんと、縦軸に単位の無いグラフです。高・低と表記されているだけ。性衝動なんて、どうやって測定したのでしょうか。通常なら、性的なことを考えた頻度なり、パートナーに性的接触を試みた回数なりを聞き取り調査するものですが。このグラフ、どこからどう見ても、ただの妄想グラフです。学問的訓練を受けたはずのアカデミシャンが、『話を〜』程度の本も見破れずに真に受けているのは情けないことです。

 男脳・女脳説には、原始時代に男は狩りをなんちゃらという話がつきものですが、「原始時代」の単語を全部「前世」に置き換えて読んでも違和感がありません。内容的にも、スピリチュアル系の前世占いと似たり寄ったりです。
「そうか、俺は前世で狩りをしていたから女と違って空間認識能力が高くて論理的で解決策を提示したがるのかキャッキャウフフはぁと」
と読者が自惚れまじりに勝手に納得する世界ですね。
 根本のところで異常な勘違いをして、出来もしないことを出来るかのように思い込むことを「ドボン」と呼びますが、『話を〜』の影響で、狩猟のドボンに嵌まる男が続出したのは痛い限りです。男の会話やLINEの仕方に至るまで何でも狩猟にこじつける割に、当人は全く狩猟ができない、狩猟風景を見たこともないし狩猟のやり方もわからない、イノシシが鼻息荒く乱入して暴れれば泡をくって逃げ出すのは確実、という手合いです。前世原始時代の狩猟の名残など跡形もないんだから、狩猟にこじつけるのは止めれ。 

 『話を〜』の旧版には書いていなかったように記憶しているのですが、最近よく

「人差指より薬指の長い人は男脳、
 薬指より人差指の長い人は女脳」

という説を聞きます。『話を〜』の新装版には書いてあるかもしれません。「男脳 薬指」のキーワードでウェブ検索すれば解説サイトが山ほど見つかります。何でも、男は薬指の方が長い傾向があり、女は人差指の方が長い傾向があるのだとか。
 ではここで、産業技術総合研究所産総研)が公開している「日本人の手の寸法データ」を見てみましょう。 

・AIST日本人の手の寸法データ
https://www.dh.aist.go.jp/database/hand/ 

 人差指の長さ(平均値) 男性 71.3mm 女性 66.5mm
 薬指の長さ (平均値) 男性 74.5mm 女性 69.2mm 

 ......男女とも薬指の方が長いやんけ。どのみち3ミリかそこらの差ですが。
 ともあれ、「相手の性格や能力を、相手の言動から判断せず、指の長さで判断する人」の判断能力の程度は、指の長さなど見なくても分かるでしょう。 

 男脳・女脳テストみたいなインチキテストで男脳判定が出ようが女脳判定が出ようが、その人の地図読み能力は分かりません。しかし、読図テストをやってみれば、その人のおおよその地図読み能力は見当がつきます。例えば、下記リンク先の読図問題は、簡単すぎるので解答すら書いていません。この問題が分からないようなら、初級者以前の地図が読めない人だと見做されます。 

NPO法人 M-nop
 机上読図問題 問4
http://www.m-nop.com/topics/navigationtext/q4/ 

 男脳・女脳テストに嬉々として飛びつき、自分は男脳だと得意気にドヤる人に限って、上記リンク先のように客観的なテストはやりたがらないものです。論理的思考ができるなら、男脳・女脳テストと読図テスト、どちらをやる方が能力判定に有効か分かりそうなものですが。
 誰だって、最初のうちは地図が読めません。また、地図を読む必要性に乏しい生活を送っている人が地図を読めないのも当たり前です。地図を読む必要性が生じ、地図読みの訓練を積むことにより、地図を読む能力は向上します。男脳だの女脳だのは関係ありません。 
 『話を〜』の出版側も、さすがに今時「女は地図が読めない」という言説は嘘八百バレバレだと分かっているのか、新装版の宣伝ではあまり地図のことは触れず、より自己啓発側にシフトしているようです。しかし、

 男は地図が読めるが、女は読めない

という主張は本書の根幹を成す部分であり、ここが崩れれば、『話を〜』全体が信用ならない本だということになります。はてさて、どうなることやら。 
 

心的回転(メンタルローテーション)の日常例

 当ブログには、「心的回転 日常例」ないしは類似のキーワード検索にて訪問してくる人がそこそこいます。この手のキーワードで検索してきたあなたは、心理学のレポートを書いている学生さんですね? 心的回転の日常例を挙げよとの課題を出されて大変でしょう。で、自分ではこれといった事例も思いつかず、ヒントを求めてあれこれウェブ検索するも大した情報は得られず、結局、どの学生さんも判で押したように、「地図を回して実際の向きに合わせる」例ばかりレポートに書いていますね。どうです、図星でしょう? 
 誰も彼も同じ金太郎飴レポートでは芸がありませんし、大体、心的回転(メンタルローテーション)の日常例として「地図を回して実際の向きに合わせる」事例しか挙げられないのであれば、心的回転なんぞ日常生活に何の役にも立たないと宣言しているのと同じです。だって、「地図を回して実際の向きに合わせる」ことは、地図読みの基本であり、正置(整置)という名称まで付いていますから。オリエンテーリング選手、アドベンチャーレーサー、山岳読図をやっている人など、地図を読む能力が非常に高い人は、ちゃんと地図を回して実際の向きに合わせて読んでいます。地図を回さずに読めるとしても、それがナンボのもんじゃい、ってことですね。それどころか、読図講習においても、経験者を対象に難しい課題を出す場合は、講習の参加者に「地図の正置ができる人」と限定条件をつけることもあります。地図を回して実際の向きに合わせることのできない人には、この講習は難しすぎて無理ですよ、ということです。このへんの事情は、過去記事でも書いています。  

地図を正置(整置)してみよう!
地図をクルクル回す人は、なぜバカにされるのか?
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(4) − メンタルローテーションの過大評価  

 では、他に心的回転の日常例は? もう思いつかない? ほら、飲食店のテーブルについた時、テーブル上にメニューが置いてありますよね。メニューが自分から見て反対向きに置いてあった場合、上下を引っくり返して見る人は、心的回転能力が低い人です。心的回転能力が高い人は、頭の中で文字を回転させることができますから、メニューを回さずに読むことができます。テーブル上に無造作に新聞が置かれていても、心的回転能力が高い人は、文字が90度回転していようが180度回転していようが、新聞自体を回さなくてもたやすく読むことができます。他にも、楽器演奏家が楽譜立てにうっかり楽譜を逆さまに置いてしまった時でも、心的回転能力が高ければ、楽譜を引っくり返さずにそのまま演奏することができます。あと、壁掛けテレビをうっかり逆さまに掛けてしまっても、心的回転能力が高ければ、頭の中で映像を回転させることができますから、いちいちテレビを掛け直さなくてもそのまま見ることができます。 
 えっ、ふざけとんのかワレぇ、ですか? でも、あなたや他の学生さんたちが大真面目にレポートに書いている「地図を回して実際の向きに合わせる」事例だって、メニューを回すだのテレビを回すだのと同レベルのふざけた事例ですよ?

 
 メニューやら新聞やら楽譜やらテレビやら、向きが違っていたら普通は回すでしょう。回さなくても支障のないほど心的回転能力が高い人など滅多にいませんし、ほとんどの人は心的回転能力が低いのですが、頭の中で回転させるのが難しければ現物を回せば済むことですから、日常生活に差し支えはありません。
 本が逆さまになっていたら回す、というのは、特に教えなくても誰もができますが、地図の向きを実際の風景に合わせて回すのは、ある程度コツを掴む必要があります。地図を回せば、地図上に書かれた地名の文字は傾きますが、地図を読む際は、地名を読むよりも、風景から得られる情報と地図上に図示された情報を照合する方が優先されることは言うまでもありません。 
 

 もし仮に、本がどの向きになっていようが回すことなく苦もなく読めるほど心的回転能力の高い人がいたとしても、そんなことは単なる「物珍しい曲芸」に過ぎず、何の自慢にもならないことは、当の本人が一番よく自覚しているのではないでしょうか。心的回転能力の高い人が、本を回す人をバカにして
「本を回すヤツは本が読めない。回さずに読める俺様スゲー」
と自慢していたら、哀れを通り越して、見ているこちらの方がつらいでしょう。ところが、「本」が「地図」に換わった途端、こじらせた人がぞろぞろ出てきます。勝手にこじらせの道具として利用される地図が不憫でなりません。 
 
「○○を回す人は○○が読めない(理解できない)」  

の○○部分に、「本」「楽譜」「テレビ」などを代入した時には、ほとんどの人がバカバカしいことに気付くのに、「地図」を代入した途端におかしさに気付かなくなるのは不思議です。 

 逆さまになった壁掛けテレビをストレスなく観ることができる能力を持っている人が、必ずしも映像から情報を読み取る能力が高いわけではありません。両者は全く別の能力です。それと、主観や客観とも全く関係ありません。本を回さずに読むのは客観的な読み方だが、本を回して読むのは主観的な読み方だ、と主張するのはバカげています。 


 「心的回転能力」と「文章の内容読解能力」の間には、直接の関係は何もありません。ただ、大抵の人は心的回転能力が低く、逆さになったり傾いたりしている文字をいちいち頭の中で回転させながら読んで、要らん頭を回したことろで、肝心の文章内容を理解するのに足を引っ張られるだけでしょう。その意味では、本を回さずに読む人よりも、本を回して読む人の方が文章読解能力は高いと言えるでしょうし、現にほとんどの人は、本が逆さまになっていれば回して読んでいます。
 先述した通り、地図を読む能力が非常に高い人は地図を回しながら読んでいますが、別に心的回転能力と地図読み能力との間に負の因果関係があるわけではなく、地図の向きを実際の風景の向きに合わせることにより、効率よく地図から情報を読み取ることができ、それが地図読み能力の高さを支えているのだと考えられます。  


 ではここで、心的回転のレポートを書いている学生さんに提案。指導教員には手渡しでレポートを提出し、
「レポートの最初の部分だけでも目を通してください」
と言ってみてはどうでしょうか。もちろん、レポートの向きは、指導教員から見て逆さまになるように向けて渡します。その時あなたは、正に「心的回転の日常例」を目撃することになるでしょう。
 あ、レポートの冒頭には、以下の文章をコピペしていただいて構いません。 

学生からレポートを手渡されたとき、レポートの向きが逆さまであれば、レポートをくるりと回す指導教員をよく見かける。これは心的回転能力が低く、レポートの文字を頭の中で回転させることが困難であるからだと考えられる。心的回転の能力が高い指導教員であれば、頭の中で文字を回転させることができるので、レポートを回すことなく読むであろう。このように、心的回転はわれわれの日常に深く関わっている。

 

 指導教員がどんな反応をするか、興味が湧きませんか? もっとも指導教員が先回りして当記事を検索して読んでいて、コピペを咎めてくる可能性も大ありですが。