方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

男は方角と距離に基づいたナビゲーションが苦手(2)−リングワンダリングの恐怖

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男は方角と距離に基づいたナビゲーションが苦手(1)−方角と距離に基づくナビゲーションはどうやるか

 フィールド上で視界が利かない時やこれといった特徴物がない時、まっすぐ進むことができずに円を描いて元の場所に戻ってしまうリングワンダリング(リングワンデルングと表記することもある)現象はよく知られています。遭難に直結するほど深刻なケースは少なくても、ちょっとしたリングワンダリング体験を見聞することは多く、かくいう私もやったことがあります。
 リングワンダリングは有名な割に、系統だった研究はまだ少ないようです。恐らく人間は、視覚情報を基に進行方向を微調整しながら直進しているのでしょうが、視覚情報が乏しい場合、微調整が働かずにズレが蓄積して円を描いてしまうのだと思われます。しかし、リングワンダリングのメカニズムはまだよく分かっていません。
 遠方に目立った特徴物が見えていれば、それに向かって進めば問題ありません。特徴物が無くても、太陽が出ていれば、太陽光を一定角度から受けるように体を向きを保ちながら進むことにより、直進することは可能です。それもできない場合、コンパスの直進機能を使いますが、これも「人間は一定方向にまっすぐ歩くことができない」という前提あるがゆえの機能です。 

 「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説が本当なら、男性はリングワンダリングを起こしにくいはずです。くるりと360度回れば、途中で方角が違っていることに気付くでしょうから。しかし現実にはそんなことはありません。方角が違っていても認識せず、見覚えのある景色や目印に気付いてようやく自分がリングワンダリングしたことを理解し愕然とするものです。 

 次回は、「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説を完膚なきまでに否定し尽くす、とある有名な大量遭難死事件を取り上げます。

男は方角と距離に基づいたナビゲーションが苦手(1)−方角と距離に基づくナビゲーションはどうやるか

 私事になりますが、このところたて続けに「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説を信じている人に会いました。そして、いったん俗説を信じてしまった人を説得するのがいかに困難か痛感しました。信じてしまった人たちの話によると、企業向けの研修で聞いたんだそうです。試しに「企業 研修 男脳女脳」のキーワードでウェブ検索してみると、目まいがしそうな検索結果がずらりと並びます。俗説への批判記事は一度書いて終わりにするのではなく、定期的に何か書いておく必要があるのかなあ、と思った次第です。 

 「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説の大元になったと思われる論文は、箸にも棒にもかからぬ代物です。
ドリーン・キムラ − 何を調べているのかさっぱりわからない「実験」
 元論文はこちら。
・Sex differences in route-learning(英語)
http://www.citeulike.org/user/hyac/article/9528890 
 残念ながらこの論文は、地図読み能力の性差を裏付ける先行研究として、いまだに研究者たちに引用され続けています。論文筆者である Galea,Kimura 個人の逸脱ではなく、20年前のお粗末な論文にツッコミ一つ入れることができずに引用し続ける研究者集団の構造問題でしょう。 

 この俗説を大々的に広めたのが、2009年に放送された『NHKスペシャル 女と男』です。この番組への批判記事はこちら。
『NHKスペシャル 女と男』(1) − 概要
『NHKスペシャル 女と男』(2) − 内容要約
『NHKスペシャル 女と男』(3) − 方角・距離・目印
『NHKスペシャル 女と男』(4) − ナビゲーションと古人類学と  

 そんなわけで、「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説がいかに嘘っぱちであるか、シリーズで書いていく予定です。この手のヨタ話は、単一根拠によって否定されるものではなく、何重もの状況証拠によって徹底的に否定され尽くされるものなので、しつこいくらい言及したいと思います。 

 まずは基本に立ち返り、方角と距離によるナビゲーションはどうやるのか見ていきましょう。幸い、いい教材がウェブ上に存在します。フィンランド在住の日本人がアップロードした約30分ほどの動画で、前半は理論解説編、後半(12'30"あたりから)は実践編です。

・裏庭ブッシュクラフト - #02ベーシックスキル - 10ナビゲーション(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=o_wcBgZz-Fc


 上記動画の後半・実践編では、駐車場から湖まで遊歩道を利用して行き(ただし直線的に進むために、遊歩道が曲がっている箇所はショートカットルートを取っています)、帰りは方角と距離のデータを基に直進して戻っています。
 まず、周到な事前準備をしていることが見て取れるでしょう。ちゃんと100メートルの距離を何度も歩いて自分が何歩で歩き切るかを求めた上に、コンパス、レンジャービーズ、方眼紙などの道具を使いこなしています。
 また、方角・距離のナビゲーションであるにもかかわらず、目印を活用していることも見逃せません。「いつも休憩に利用している大きな岩」「水場」「開けた場所」「倒木」「来た時の足跡」など。
 フィールド歩きに慣れた人なら実感しているでしょうが、常時 人が歩いて踏み固めた道と、そうでない場所とでは、歩きやすさが段違いです。動画主さんも、遊歩道から外れた場所では歩きにくそうにしているのが分かります。フィールドでは岩や立木が邪魔で、たとえコンパスを使っても直進困難なケースは珍しくありません。そんな時は、まずコンパスで目的地の方向に大矢印を向け、矢印の先に見える目標物(木や岩など何でもいい。できるだけ遠方にある方が望ましい)を定め、目標物に辿り着いたら再度コンパスで新たな目標物を設定する、という技法を使います。これなら次の目標物まで少々曲がった経路を取っても大丈夫です。動画主さんも、この方法を採用しています。方角・距離のナビゲーションを行なう際も、ちゃんと目印を利用していることに留意しておきましょう。 

 方角と距離によるナビゲーション方法をじっくり学習したあと、改めて男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる、という俗説を広めた『NHKスペシャル 女と男』の内容を見てみると、如何に眉唾であるか分かろうというものです。
 まず、人間の方角・距離の感覚は不正確なので、方角と距離に基づいたナビゲーションを行なうには測定道具を使いこなす必要があります。上記動画主さんも、決して感覚頼りに進んでいるわけではなく、道具使いこなしスキルを習得し、周到な下準備をした上でナビゲーションしています。道具に頼らず感覚で判断しているのは、主として目印です
 原始時代には当然コンパスは存在せず、歩測をしようにも、100メートルを測るメジャーもありません。所要時間から距離を割り出そうとしても、時計も存在しません。原始時代のナビゲーション方法はよく分かっておらず、おそらく地域地域の地理的特性により異なっていたでしょうが、やはり主として目印を利用していたのではないか、と推測してもそれほど不合理ではありません。長距離を移動する際も、遠方に見える目標物を頼りに進めばいいわけです。方角・距離情報を主体としていたのなら、それをどうして感覚で感知していたのか、という問題に行き当たります。大雑把に進行方向を決めたり大幅に目的地を外したりしないように方角・距離の感覚を利用はしたでしょうが、それ以上に精密なナビゲーションをするには無理があります。 

 さて、次は下記の動画をご覧ください。 

NHK映像マップ みちしる トムラウシ山大雪山国立公園)難所 ロックガーデン (動画)
http://cgi2.nhk.or.jp/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004340001_00000 

 登山をしない人は、動画中の岩だらけの場所でどうやって進路が分かるのか、不思議に思わないでしょうか。登りであればピークに向かって収束するからまだしも、下方に向かって発散する下りではどうでしょう? 濃霧とはいわないまでも、ちょっとしたガスに巻かれた時、どちらに進んだらいいか分かりますか? 動画中でも、ガスの中を進んでいる様子が少しだけ収録されています。
 実は、岩にはルートを示すペンキマークが印されていて、登山者はそれを頼りに進んでいます。目印を順番に追っているわけです。ガイドブックなどにも「ペンキマークを見失わないように」と注意書きがあります。晴れて視界が良い時は迷いにくくなりますが、それは遠方の目標物が見えるからであり、要は目印を頼りにしています
 「男は方角と距離に基づいたナビゲーションを得意とし、目印に頼ると迷いやすくなる」という俗説には、「女は目印を順番に追うナビゲーションを得意とする」という言説がセットで付く場合が多いのですが、何のことはない、男女問わず、目印を順番に追うナビゲーションが得意なんです。仮に俗説が本当だとしたら、男性にはペンキマークなど不要(それどころか却って迷いやすくなる)で、「北へ1km」と書いたメモでも持っていた方が迷わないはずですが、そんなバカな話があるかいな。 

 人間(男性を含む)は方角・距離の把握が苦手だからこそ、そういう前提を置いた上でコンパスの使い方を習得し、事前の周到なプランニングの立て方を学習します。俗説など邪魔なだけです。

『はなまるマーケット』方向音痴克服法 − 前半トンデモ後半マトモ、激しすぎるコントラスト

  2013年10月7日、TBS系列のテレビ番組『はなまるマーケット』内のコーナーで、「方向音痴克服法」の企画が放送されました。詳しい内容は、下記リンク先で読むことができます。 

・七転八起 
 [はなまるマーケット] 方向音痴 克服法 10月7日 地図アプリ Map Fan eye こっちナビ 
http://blg.mania-info.com/?eid=4675 

・TVでた蔵 
 2013年10月7日放送 8:30 - 9:55 TBS はなまるマーケット 
http://datazoo.jp/tv/%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88/673610 

  最初のリンク先『七転八起』より、番組内容の前半部分を引用します。 

諏訪東京理科大学 共通教育センター教授 篠原菊紀先生
・女性が地図を回すのは、自分から見た順序でルートを捉えるのが得意だから
・男性は、東西南北のある方向に目的地があるという「空間認識力」があり
 地図を空から見たようなルートで捉える方法が得意

http://blg.mania-info.com/?eid=4675

 篠原菊紀氏といえば、2012年に「窓ふきで方向音痴が克服できる」と言っていた人ですね。 

 「地図の読み方に男女差がある」というのは典型的な俗説であり、拙ブログで既にさんざん批判してきましたが、番組放送直後であり、検索により当記事を読みにくる人もいると予想されますから、俗説の成立と流布過程についてまとめておきましょう。 

 ナビゲーションするとき、男性は方角と距離を元に俯瞰的に把握、女性は目印を順番に追う 
という俗説(各種バリエーションあり)の元になったのは、カナダの研究者ドリーン・キムラ(日系人ではない)による1993年の論文であろうと思われます。しかし、この論文は全く話にならないお粗末な代物で、地図読み能力ともナビゲーション能力とも関係ない、ただの線なぞりです。 
ドリーン・キムラ − 何を調べているのかさっぱりわからない「実験」 

 地図読み・ナビゲーション方法の性差にまつわる俗説は、2009年放送の『NHKスペシャル 女と男』、2012年放送の『所さんの目がテン! 方向音痴特集』などを通じて広く流布され、現在では多くの人が信じています。両番組の批判記事を、過去に拙ブログで書いています。  
『NHKスペシャル 女と男』(1) − 概要
『NHKスペシャル 女と男』(2) − 内容要約
『NHKスペシャル 女と男』(3) − 方角・距離・目印
『NHKスペシャル 女と男』(4) − ナビゲーションと古人類学と 

『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(1) − 内容要約
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(2) − 目印は大事 
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(3) − 番組内の実験について
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(4) − メンタルローテーションの過大評価 

 今回の『はなまるマーケット 方向音痴克服法 』では、2012年放送の『所さんの目がテン! 方向音痴特集』と全く同じミスリードをやっています。最初の方で、方向音痴な女性二人と方向音痴でない男性二人に地図を持たせ、目的地に行かせるデモンストレーションをしていますが、過去記事で書いた批判文を一字一句変えることなくそのまま使えます。この「方向音痴である/ない」という本人申告(番組申告?)が本当だと仮定するなら、これらの実験は「方向音痴な人」と「方向音痴でない人」の比較でしかありません。男女の比較になっていません。被験者の人数が少ないとかいう以前に、「条件を揃える」という最低限のことをやっておらず、何の検証にもなりません。 

 『はなまるマーケット』では、篠原菊紀氏が「女性は自分から見た順序でルートを捉えるのが得意」という主旨の発言をしていますが、男性も同じです。自分から見た順序でルートを捉えるって、当たり前じゃないか。しかも、相も変わらず地図を回す行為を揶揄するような調子ですが、これも過去に批判j記事を書いています。 
地図を正置(整置)してみよう!
地図をクルクル回す人は、なぜバカにされるのか?
『所さんの目がテン! 方向音痴特集』(4) − メンタルローテーションの過大評価 
 ここで書いておいたように、オリエンテーリング選手や山岳読図をしている人などは地図を回して実際の向きに合わせて読んでいますから、地図を回す人をバカにしていると、いつか痛い目を見ます。実際、初級者以前の全く地図を読めない人が、地図を回して読む上級者をバカにするという、痛すぎてシャレにすらならない場面を何度も見たことがあります。因みに、地図読みの上級・中級・初級・一般(初級以前の人)の定義は、「地図が読める人」って、どんな人?を参照のこと。 

 番組でば、男性は東西南北把握、俯瞰的把握であるかのように言っていますが、東西南北がすぐ分かると豪語する人でも、実際に検証してみると全然分かっておらず、単なる思い込みに過ぎないことはよくあるものです。 
「ドボン」に はまる人たち 
 山における道迷い遭難は、踏み跡を見失ってしまうことが引き金になります。踏み跡は「線状特徴物」というランドマーク(目印)であり、ランドマークを順に追えなくなれば、男女関係なく容易に道迷いします。また、遭難者は男女問わず、方角が大幅に違っていても気付きません。例えば、奈良県・薊岳付近での道迷い遭難では、正規ルートと遭難パーティが迷い込んだ谷とでは方角が全く違います。因みに遭難パーティメンバー12名は引率教諭2名も含め、全員男性です。別の例を挙げれば、登山道を外すときで例示したCさん(男性)の場合、Cさんが下った涸れ沢と正規登山道はほぼ90度方角が違いますが、Cさんが道迷いに気付いたのは「身の危険を感じるほど傾斜がきつくなった」からであり、決して「方角が違うから」ではありません。他にも、男性は方角を把握していないことを示す傍証となる道迷い遭難例なら山ほど挙げることができますが、男性が方角を把握している傍証は挙げられません。登山の際にはコンパスを携行するように言われるのは、性別を問わず、人間は方角がわからないからです。  

 また、地図を見慣れた人であれば地図上の配置をよく暗記しているでしょうが、当然ながら、地図慣れしているかどうかの問題であって、性別による認識差の問題ではありません。さらに言えば、地図読みの中級者〜上級者であれば、単に地図を上から見下ろして配置を把握するだけの段階にとどまらず、さらにその先に踏み込んで、地図上での描出物が実際にどう見えるかを思い描くことができるようになります。 
地図が読めない人は、地図を俯瞰的に把握している 


 という具合で、番組前半は、たったこれだけの短時間によくもまあツッコミ所ばかり詰め込んだものだと呆れるほどトンデモのオンパレードでしたが、後半はガラリと様相が変わります。オリエンテーリング選手の小泉成行氏が登場。この人は、2012年に『あさイチ スゴ技Q もう迷わない!方向オンチ克服法』 にも出演していましたね。 
 小泉氏は、 

1.一番の基本は、現在地を把握すること 
2.現在地を把握したら目的地まで行くルートを決める 
3.無理をして最短距離を選ばず、目印がある大きな道路を選ぶ 
4.地図の向きを実際の道路とあわせたら、進行方向を向くように自分が回りこむ 
5.現在位置に指を置くことで自分の移動した場所や進行方向をわかるようにする  

など、地図読みの基礎となるポイントを伝授。どの項目もオリエンテーリングで実地に使われている地図読み技術です。例えば、

2.現在地を把握したら目的地まで行くルートを決める
というのは、オリエンテーリングにおけるプランニングに該当、

3.無理をして最短距離を選ばず、目印がある大きな道路を選ぶ 
は、オリエンテーリングにおけるエイミングオフという技術に該当、

4.地図の向きを実際の道路とあわせたら、進行方向を向くように自分が回りこむ 
地図の向きを実際の道路と合わせる技術は、拙ブログで何度も言及してきた「正置(整置)」該当。一度地図を正置すれば、地図の向きと現地の実際の方向が一致しますから、あとは地図を回さずに自分のほうが回りこむようにすればOK。 

5.現在位置に指を置くことで自分の移動した場所や進行方向をわかるようにする 
は、オエリエンテーリングにおけるサムリーディング(thumb reading)に該当。 

 ・・・・・・トンデモ番組がいきなりマトモな番組に変身。ってか、前半部と後半部が全く繋がっていませんね。
 小泉氏が指導した方法は、性別とは関係ない地図読み技術です。「女性は自分から見た順序でルートを捉えるのが得意だからこういう方法で、男性は東西南北で俯瞰するからこういう方法で...」なんてニセ科学丸出しのアホな指導は、オリエンテーリングではやりません。地図を回すのは女性特有ではなく、オリエンテーリング選手もやります。
 いっそのこと、前半部は全部カットして、地図の正置のやり方をもっと詳細に放送すればよかったのに。「向こうに見えるビルは地図上のこれ。今立っている場所はここ。だから地図をこうやって合わせて...」という感じで、もっと掘り下げて番組に盛り込めば、「方向音痴克服法」の企画名にふさわしい内容になったでしょう。 
 

 結論。
 方向音痴を特集する番組で、「脳科学」「男女差」が出てくれば、トンデモである可能性が極めて高い。
 オリエンテーリング選手やアドベンチャーレーサーが登場すれば、マトモな内容になる可能性が極めて高い。

 今回の『はなまるマーケット』は、両者を一緒くたに詰め込んだ、ある意味 濃厚な番組でした。