方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

ドリーン・キムラ − 何を調べているのかさっぱりわからない「実験」

 道順を覚えるとき、男は方角と距離を正確に把握し、女はランドマーク(目印)で把握する。

 かなり多くの人が信じている俗説です。この俗説の出所となったのは、カナダのウェスタオンタリオ大学のドリーン・キムラが1993年に実施した実験であると推測されます。この実験については、キムラが著した『女の能力、男の能力―性差について科学者が答える』に収録されています。 

『女の能力、男の能力―性差について科学者が答える』
ドリーン・キムラ著  新曜社
女の能力、男の能力―性差について科学者が答える

 キムラの実験内容と、その問題点を指摘したブログ記事があります。引用が長くなって恐縮ですが、キムラの研究に関連する部分を、全文 引用いたします。 

・ブログ 『2,rue de Brique』 より  2005年12月28日付記事
http://blog.livedoor.jp/gabeji/archives/50338017.html

<キムラの研究>
 新井によれば、方向感覚の良し悪しとはルートのたどり方・見つけ方の問題、そして過去の経験と主観的判断力によるものである(ibid. :96)。彼はそのことを示すためにキムラの研究を引いた。
 この研究は49名の男子大学生、48名の女子大学生を被験者とし、通りの名前、ランドマークなどが描かれた地図を用いた。日曜日にその街をドライブするという仮定の下、試験者が一分間ゆっくりと支持棒で地図上のルートをなぞっていく。被験者は試験者が示したルートを二回連続で完全正解できるまで試行し、正解した時点で実験終了。誤ったルートに入った場合はエラーと記録され、誤ったルートにはいる前の場所から再び続行する。そして最終的に到達目標に達するまでの時間、試行回数、エラー回数を比較した。
 さらに同じ地図を用いて、2分間全てのランドマーク、道路の名前を覚えさえて答えさせた。
 実験の結果は下表の通りである。

実験1 女子48人 男子49人
到達目標までの試行回数 5.0 4.4
誤試行回数 6.5 5.1
到達目標までの時間(分) 3.7 3.0
実験2 女子学生 男子学生
ルート上のランドマーク 7.4(14) 5.9
ルート外のランドマーク 3.9(15) 3.1
道路名 5.0(23) 3.8


 これらの実験の結果から、キムラはルート学習は男子学生のほうが女子学生と比べて優れており、女子学生はランドマークの学習に秀でているということ、さらには女子学生のランドマーク学習戦略はルート学習という面において有効に働いているとは限らないとした。
 ここで言及されていることは、地図のルートをたどるという実験、地図上のランドマークを学習するという実験が空間認知の能力を調べる上で有効である、ということである。これは先にブラックを引用したような、ただの地図認知能力の問題ではない所まで議論が流用されていることを示す。この実験は明らかに紙の上の迷路ゲームだろう。実際にルートを棒でたどったからといってそのルートを両眼視しながら通り過ぎていく感覚が再現されるような人間がどれだけいるだろうか。この実験は、実際にある土地を用意して行われないといけないものではないのだろうか。大きな問題があるように思える。

 キムラの実験の問題点は、引用元のブログ主の

この実験は明らかに紙の上の迷路ゲームだろう。

の一言に見事に集約されています。主要な問題点は、既に引用元のブログで言い尽くされていますから、あとは落穂拾いをやることにしましょう。 

 引用元のブログには書かれていませんが、男子学生はランドマーク記憶が女子学生より悪かったにもかかわらず、女子学生より少ない試行で短時間のうちに目標到達したことから、男性はランドマークに頼らず、方角と距離でルート学習する、とキムラは結論付けています。 

 もし私がこの実験における被験者の立場だったら? てっきり、実際に街に出てナビゲーションさせる課題だと勘違いして、それこそ懸命にランドマークを覚えようとするでしょう。そして、何のことはない、単に紙上の仮想線をなぞるだけの課題でした、というオチがついて、盛大にずっこけると。
 紙上の仮想線を紙上で再現するだけなら、余計なランドマーク情報など見ずに、単純に紙上の仮想線として記憶したほうが、そりゃ早くて正確に再現できるに決まっています。ただし、それで実際に現地で正確なナビゲーションができるかどうかは、全く別問題です。時間をかけて丹念にランドマークを追っていた被験者のほうが、時間をかけずに線だけなぞっていた被験者より、実際のナビゲーションは正確である可能性は十分考えられます。主要なランドマーク(特に、曲がり角におけるランドマーク)を覚えるのは、非常に現実的な道路上ナビゲーション方法です。
 いずれにせよ、実際の方角にも距離にも対応していない紙上の仮想線など、「方角」でもなければ「距離」でもありません。ただの紙上線の「傾き」と「長さ」です。 

 こうしてみると、

日曜日にその街をドライブするという仮定の下

通りの名前、ランドマークなどが描かれた地図を用いた。

ために、現実のナビゲーションと混同しやすく、結局、この「実験」で何がわかるのかすら、さっぱりわからなくなっています。紛らわしい真似をせず、被験者に単純に線を辿らせていれば、「紙上の仮想線を辿る能力」について、何がしかのことがわかったでしょうに。